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ウイスキーの歴史【アイルランド】

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文字数:約2000文字

 スコットランドとウイスキー発祥の地を争うアイルランド。
その歴史は長く、栄枯盛衰である。
歴史年表をまとめたので、ご覧いただきたい。

アイルランド国旗
ChickenonlineによるPixabayからの画像

歴史

 ウイスキーとアイルランドの歴史を世紀を分けて見ていこう。

12~17世紀

  • 1155年
     ローマ教皇ハドリアヌス4世が、アイルランドにおけるイングランド王の権力を
     勅令に基づいて与える。
  • 1170年
     イングランドのヘンリー2世がアイルランドに侵攻。
     帰還兵は、アイルランド人は「アクアヴィタ」と「オスケバウ」を飲んでいると報告。
     これがウイスキーのことを指すのかは不明。
  • 1533年
     ヘンリー8世がローマ教皇と決裂し、翌年イングランド国教会の首長となる。
  • 1556年
     イングランド統治下のアイルランド議会が、社会のエリート層には蒸留を許したが、
     その他の者には政府に許可証を申請することを要求する法律を通した。
  • 1608年
     国王ジェームズ1世が北アイルランド・アントリムの領主サー・トーマス・フィリップスに
     蒸留免許を与える。ブッシュミルズ蒸留所
アイルランド
sktlloyd3によるPixabayからの画像

18世紀

  • 1757年
     キルベガンにブルスナ蒸留所、ダブリンにトーマス・ストリート蒸留所創業。
  • 1759年
     イングランド当局は、合法ウイスキーの評判を高めることを目的に、
     製麦した大麦、穀粒、ジャガイモと砂糖以外の原料の利用を禁止する法案を成立させる。
  • 1779年
     税法改正。
     課税を『製造した蒸留液の量』から、
     『スチルの大きさから計算される月ごとの生産量』に変更。
  • 1780年
     ダブリンにジョン・ジェムソン誕生(ボウ・ストリート蒸留所)。
  • 1783年
     不法蒸留設備が発見された町には罰金を課す、集団的制裁政策の法律を制定。
アイルランド
Emily MillerによるPixabayからの画像

19世紀

  • 1801年
     アイルランド、イギリス(グレートブリテン)に併合される。
  • 1823年
     イングランド政府はスコットランドとアイルランドに等しく適用される税法に改定。
     『製造した量のみに』課税するようになった。
  • 1825年
     ミドルトン蒸留所は31,500ガロンのポットスチルを建てる。
  • 1831年
     アイルランド人のイーニアス・コフィーが連続式蒸留機(パテントスチル)を発明
  • 1840年代初頭
     国内で禁酒運動が始まる。

20世紀~

クローバー
Kathleen BergmannによるPixabayからの画像
  • 1901年
     蒸留酒の過剰生産とイングランドやヨーロッパの経済全般の沈滞とが相まって、
     すべてのウイスキーメーカーが不良在庫を抱え始める。
  • 1916年
     ダブリンのイースター蜂起。
  • 1917年
     イギリス政府は大麦制限令を発令。
     (戦時下では大麦を食物の製造以外に用いることを禁じる)
  • 1920年
     アメリカで禁酒法が施行(~1933年)。
     第一次大戦と禁酒法の影響で多くの蒸留所が閉鎖に追い込まれる。
  • 1922年
     アイルランド自由国憲法採択により、南部26州と北部6州に分かれる。
  • 1926年
     アイリッシュウイスキーの熟成期間を3年から5年に引きあげる法改正(~1969年)。
     長期的には正しいが、短期的には出荷できない。
  • 1947年
     北アイルランドでブッシュミルズとコールレーンの蒸留所が手を組む。
  • 1949年
     アイルランド共和国宣言(英連邦から脱退)。
  • 1950年
     政府はアイリッシュウイスキーアイリッシュポットスチルウイスキー法的に定義した。
  • 1964年
     アイルランド国外で製造された蒸留酒への関税を立法化。
     コールレーンがブッシュミルズに吸収される。
  • 1966年
     大量生産によるコストダウンと国内での競争を避けるために、
     残っていた少数の会社は合併し、
     ユナイテッド・ディスティラーズ・オブ・アイルランドをつくった。
     ジョン・ジェムソン・アンド・サン、ジョン・パワー・アンド・サン、
     ザ・コーク・ディスティラーズ・カンパニー(CDC)が合併。
     2年後には、アイリッシュ・ディスティラーズ・グループ株式会社(IDGL)に社名を変更。
  • 1972年
     血の日曜日事件。イギリスが北アイルランドを直接統治。
     カナダの大手酒造会社シーグラムがブッシュミルズを買収し、
     IDGL株の15%と引き換えにブッシュミルズをIDGLに譲り渡した。
     これによってアイリッシュウイスキーのすべてが、IDGLのものになった
  • 1975年
     新ミドルトン蒸留所、操業開始
     IDGLの製品はすべてミドルトンの新しい最先端技術の設備で製造された。
  • 1987年
     ジョン・ティーリング、ダンダルク郊外のリバースタウンにクーリー蒸留所を創設。
  • 1988年
     IDGLは、イギリス企業による乗っ取りを回避し、
     フランスのペルノリカール社に自社を売却し、傘下に入る。
  • 2005年
     ブッシュミルズ蒸留所とブランドが、ロンドンに本社を置くディアジオ社に売却される。
アイルランド
Martin PociechaによるPixabayからの画像

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あとがき

 アイルランドにしてもスコットランドにしても、イングランドとの関わりが大きく影響している。
アイルランドでは長年伝統を守って、ブレンデッドウイスキーを拒み続けたことが、
世界戦略の遅れにつながった。
スコットランドでもブレンデッドウイスキーに対して、反発はあったが、うまく折り合いをつけた。
この対応の差が現在の蒸留所数の差に表れている気がする。
アイルランドでは最盛期に100近くの蒸溜所があったとされるが、現在は4つしかない。
これからのアイルランドの取り組みに期待したい。



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