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     更新日:2022年8月28日

    文字数:約1200文字

     焼酎の歴史は約600年と言われているが、どのようにして日本に入ってきたのかは判明されていない
    現在の有力な説は4つある。

    1. 対馬経路説
    2. 琉球経路説A
    3. 琉球経路説B
    4. 直接上陸説

    どの説も決定的な証拠が見つかっていないのが現状である。
    ポルトガルの商人が1546年に「日本には米で造った蒸留酒があった」と書き残していることから、
    それ以前に焼酎造りがスタートしていることは確かだ。

    伝来経路
ルート
    GoogleMap

    ●対馬経路説

     モンゴルから朝鮮半島を通り、長崎県の対馬、壱岐島に伝わったとする説。
    その後、蒸留酒(焼酎)と蒸留技術は九州北部から南へと伝播した。

     1404年に朝鮮大宗から対馬の領主へ朝鮮産の『高麗酒』という蒸留酒が贈られた。
    これは『李朝実録』に記されている。

     当時の朝鮮では米から造られる蒸留酒として『ソジュ』がある。
    これはモンゴル帝国から朝鮮に伝わったとされている。
    現在のソジュは原料、製法が変わっている。

     現在の壱岐島では米麹を使った麦焼酎が多く生産されている。
    蒸留技術が伝わった当初は、ソジュを真似て米で造っていたのかもしれないが、
    米は年貢の対象であり、麦は対象外だったため、米から麦へと原料を変えたと考えらえる。

    瓶の漂流
    Henri Van HamによるPixabayからの画像

    ●琉球経路説A

     シャム(タイ)からインドシナ半島を経由して琉球に伝わったとする説。

     シャムと琉球が交易していたことは確かであり、
    交易品としてタイの『ラオ・ロン』という蒸留酒がある。
    泡盛はラオ・ロンによく似ており、タイ米を使うラオ・ロンを元にして泡盛を造ったと考えられる。

     また、米麹の多くがタイ米(インディカ米)を使用されていることも、
    最初に伝わったものがタイ米だったからという考え方もできる。

    インディカ米
    günterによるPixabayからの画像

    ●琉球経路説B

     中国の雲南省から福建省を経て、琉球に伝わったとする説。
    雲南地方に伝わる米の蒸留酒は、焼酎とよく似ていると言わる。

     日本の焼酎に使う麹の製法は「散麹(ばらこうじ)」というもので、
    雲南地方と同様である。
    他の地域では「餅麹(もちこうじ)」という製法が主である。

     また、日本の古式蒸留器である、「カブト釜式」という蒸留器は、
    現在も雲南地方で使われている

    ●直接上陸説

    倭寇風の舟
    maja7777によるPixabayからの画像

     13~16世紀にかけて東アジアの海上に進出していた倭寇(わこう)によって、
    薩摩に蒸留酒が伝わったとする説。
    海上輸送が活発に行われているということは、さまざまな品が行き来していた可能性がある。

     しかし、製法が伝わったからといって、まともに造れたかは不明である。
    1910年に泡盛から黒麹が培養されるまでは、黄麹(野生種)が使われていた
    薩摩の温暖な気候を考えると、まともに造れないものを広めるのは難しそうである。

    ●あとがき

     焼酎伝来の時期について、どの説が最初かはわからないが、伝わり方は南北両端からではと考える。
    琉球から薩摩へ距離的な問題があり、簡単に伝わるとは考えにくい。
    対馬、壱岐島から九州を陸伝いに広めていくことができる。
    原料や気候を加味しても、出発点を決定づけることは困難である。