焼酎のルーツ

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 焼酎の歴史は約600年と言われているが、どのようにして日本に入ってきたのかは判明されていない
現在の有力な説は4つある。

  1. 対馬経路説
  2. 琉球経路説A
  3. 琉球経路説B
  4. 直接上陸説

どの説も決定的な証拠が見つかっていないのが現状である。
ポルトガルの商人が1546年に「日本には米で造った蒸留酒があった」と書き残していることから、
それ以前に焼酎造りがスタートしていることは確かだ。

伝来経路
ルート
GoogleMap

●対馬経路説

 モンゴルから朝鮮半島を通り、長崎県の対馬、壱岐島に伝わったとする説。
その後、蒸留酒(焼酎)と蒸留技術は九州北部から南へと伝播した。

 1404年に朝鮮大宗から対馬の領主へ朝鮮産の『高麗酒』という蒸留酒が贈られた。
これは『李朝実録』に記されている。

 当時の朝鮮では米から造られる蒸留酒として『ソジュ』がある。
これはモンゴル帝国から朝鮮に伝わったとされている。
現在のソジュは原料、製法が変わっている。

 現在の壱岐島では米麹を使った麦焼酎が多く生産されている。
蒸留技術が伝わった当初は、ソジュを真似て米で造っていたのかもしれないが、
米は年貢の対象であり、麦は対象外だったため、米から麦へと原料を変えたと考えらえる。

瓶の漂流
Henri Van HamによるPixabayからの画像

●琉球経路説A

 シャム(タイ)からインドシナ半島を経由して琉球に伝わったとする説。

 シャムと琉球が交易していたことは確かであり、
交易品としてタイの『ラオ・ロン』という蒸留酒がある。
泡盛はラオ・ロンによく似ており、タイ米を使うラオ・ロンを元にして泡盛を造ったと考えられる。

 また、米麹の多くがタイ米(インディカ米)を使用されていることも、
最初に伝わったものがタイ米だったからという考え方もできる。

インディカ米
günterによるPixabayからの画像

●琉球経路説B

 中国の雲南省から福建省を経て、琉球に伝わったとする説。
雲南地方に伝わる米の蒸留酒は、焼酎とよく似ていると言わる。

 日本の焼酎に使う麹の製法は「散麹(ばらこうじ)」というもので、
雲南地方と同様である。
他の地域では「餅麹(もちこうじ)」という製法が主である。

 また、日本の古式蒸留器である、「カブト釜式」という蒸留器は、
現在も雲南地方で使われている

●直接上陸説

倭寇風の舟
maja7777によるPixabayからの画像

 13~16世紀にかけて東アジアの海上に進出していた倭寇(わこう)によって、
薩摩に蒸留酒が伝わったとする説。
海上輸送が活発に行われているということは、さまざまな品が行き来していた可能性がある。

 しかし、製法が伝わったからといって、まともに造れたかは不明である。
1910年に泡盛から黒麹が培養されるまでは、黄麹(野生種)が使われていた
薩摩の温暖な気候を考えると、まともに造れないものを広めるのは難しそうである。

●あとがき

 焼酎伝来の時期について、どの説が最初かはわからないが、伝わり方は南北両端からではと考える。
琉球から薩摩へ距離的な問題があり、簡単に伝わるとは考えにくい。
対馬、壱岐島から九州を陸伝いに広めていくことができる。
原料や気候を加味しても、出発点を決定づけることは困難である。

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