梅酒の歴史

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文字数:約4500文字

 梅酒はいつ頃から作られているのだろうか。
どのように広まったのだろうか。
梅酒に関連して、梅、砂糖、お酒などを交えて歴史をまとめた。

砂時計
fernando zhiminaicelaによるPixabayからの画像

梅酒に関する年表

時代  西暦     和暦   出来事
縄文紀元前
2000年頃
【最古の梅文献】
 中国の商書に「」について記載
弥生約2000年前中国最古の薬物学書『神農本草経』に梅の効用が記載
古墳3世紀末【梅の伝来①】
 梅が百済からもたらされた説
5世紀中国の古文書に塩漬けの梅が記録されている
6世紀【梅の伝来②】
 烏梅として中国から渡来した僧侶が伝えた説
飛鳥7世紀【梅の伝来③】
 遣唐使が烏梅を持ち帰った説
奈良751年天平勝宝3年」という文字が日本の文献に初登場したのが、
日本最初の漢詩集『懐風藻(かいふうそう)
奈良756年天平勝宝8年聖武天皇の遺愛の品を記した『種々薬帳』に
「蔗糖二斤十二両三分并埦」の記録があり、
これが日本で砂糖に関する最古の記録とされている
奈良~平安7世紀後半~
8世紀後半 
日本最古の歌集『万葉集』で梅の詩が多く収めらている
平安960年天徳4年村上天皇が疫病にかかった時、
梅干しと昆布茶によって回復したという。
この年の干支は庚申(かのえさる)、
以来「申年に漬けた梅は薬になる」と伝えられ、
無病息災を祈願して現在でも伝承されている
984年永観2年日本最古の医学書『医心方』梅干しの効用が記載される
11世紀歴史物語『大鏡(おおかがみ)』に、
鶯の宿る梅の木の話が記載される
江戸17世紀前半紀州で梅栽培が始まる
1697年元禄10年【最古の梅酒文献】
 江戸時代の食物百科事典『本朝食鑑』に梅酒(うめさけ)が日本最古の記録として登場
1712年正徳2年図説百科事典『和漢三才図会』が発刊され、
焼酎を用いた梅酒について記載
18世紀頃砂糖が一般庶民に普及し始める
19世紀後半氷砂糖が一般庶民に普及し始める
明治1895年明治28年連続式蒸留機がイギリスから輸入される
1899年明治32年酒税法により果実酒を含む全ての自家製造が禁止になる
1902年明治35年上南部村の高田貞楠が梅の苗を譲り受けた中に、
粒が大きく、美しい紅色をしたものを発見。
その後、南高梅として発表される。
1910年明治43年日本酒精から日本初となる新式焼酎(甲類焼酎)
「日の本焼酎」が発売される
昭和1959年昭和34年チョーヤが梅酒の製造販売を開始する
1962年昭和37年酒税法改正により、自家製造解禁
1973年昭和48年和歌山県みなべ町にうめ課が発足
平成2004年平成16年チョーヤが6月11日を『梅酒の日』として制定し、
日本記念日協会に認定される
2015年平成27年日本洋酒酒造組合によって、
本格梅酒』が自主基準として定められる
令和2020年令和2年和歌山梅酒』が地理的表示(GI)の指定を受ける

梅の歴史

梅の歴史
Leslin_LiuによるPixabayからの画像

 梅酒の歴史を語る上で、原料である梅の歴史について語らないわけにはいかない。
梅の原産地は中国であり、紀元前2000年頃の商書に「梅」についての記載があるという。
現在から約4000年前に初めて梅が歴史に登場したのである。
この頃、日本は縄文時代である。

 そして約2000年後の中国最古の薬物学書『神農本草経』に梅の効用が記載される。
当時の梅は観賞や食用よりも薬用としての用途が主だったようだ。

 5世紀の中国の文献には塩漬けの梅について記載される。
塩漬けの梅とは、つまり梅干しの原形のことである。
日本の伝統食である梅干しは、古墳時代の頃、
中国で原形が生まれていたのである。

・梅の伝来

 中国が原産の梅がいつ、どのように日本にもたらされたのかは諸説ある。

  1. 三世紀末の百済経由説
  2. 六世紀の中国渡来人による烏梅持ち込み説
  3. 七世紀の遣唐使による烏梅持ち帰り説

三世紀末の百済経由説

 3世紀の終わり頃に中国から百済を経由して日本に梅が持ち込まれたという説。
この時代は日本は百済と同盟を結んで、高句麗に対抗していた。
同盟国なので、政治や経済、文化など様々な側面で密接な関係が築かれ、
物資のやりとりのなかに梅が含まれていたと考えられている。

六世紀の中国渡来人による烏梅持ち込み説

烏梅

 6世紀に中国から渡来した僧侶が烏梅を伝えたという説。
烏梅(うばい)とは、梅の実を燻製にした漢方薬の一種である。
烏(カラス)のように真っ黒になるまで燻したことで、この名が付いた。

 烏梅は中国語ではウーメイ(wumei)と発音し、日本語のウメの語源となる。
烏梅の効用は、咳止め、鎮痛、解毒など。

七世紀の遣唐使による烏梅持ち帰り説

 7世紀、唐に派遣された遣唐使が帰国の際に持ち帰った漢方薬の一つが烏梅だったという説。
当時の中国の医学が日本よりもはるかに進んでおり、日本で漢方薬は珍重されていた。
遣唐使が持ち帰った漢方薬は烏梅の他にも、
大棗(なつめ)、茯苓(ぶくりょう)、桂皮(けいひ)、当帰(とうき)など、多岐にわたる。

・日本での梅の歴史

梅
Gosia K.によるPixabayからの画像

 遅くとも7世紀には日本に梅が伝わっていたようである。
日本の文献に「梅」が初めて登場するのは、
日本最初の漢詩集『懐風藻(かうふうそう)』である。
奈良時代、751年、和暦では天平勝宝3年のことである。

 そしてちょうどその頃、砂糖も文献に初登場する。
756年に聖武天皇の遺愛の品を記録した『種々薬帳』に
「蔗糖二斤十二両三分并埦」と記載されている。
この蔗糖が砂糖のことを指す。
当時の砂糖は高級品であり、とても貴重な品であった。

 奈良時代から平安時代にかけて編纂された日本最古の歌集である『万葉集』には、
梅の詩が多く詠まれている。
詩の内容から、梅は観賞の対象であったことがうかがえる。

梅の花
HeungSoonによるPixabayからの画像

 平安中期の梅干しのエピソードは現代まで伝承されている。
960年(天徳4年)に村上天皇が疫病にかかる
この時に梅干しと昆布茶によって体調が回復したことから、
元旦に福を呼ぶことを願って、梅干しと昆布入りの「大福茶」を飲む習慣ができた。
また、960年は申年だったことから、
申年に漬けた梅は薬になる」と伝えられ、
現在でも申年の梅は縁起が良いとされている。

 その後、984年に書かれた日本最古の医学書『医心方(いしんぽう)』にも、
梅干しの効用が記されることとなった。

 村上天皇は11世紀に書かれた歴史物語『大鏡(おおかがみ)』の、
鶯の宿る梅の木の話にも登場する。
村上天皇は梅と関連が強いようだ。

詳しくはコチラ↓

 時は流れて、17世紀前半(江戸時代前期)に、紀州で梅栽培が始まる
紀州藩主 徳川頼宣(よりのぶ)の時代(1619年頃)、南部(みなべ)の地の農民は、
米が育ちにくい痩せた土地で、年貢を納めるのに苦しんでいた。
この地を治める田辺藩主 安藤帯刀(たてわき)は、
地域に自生するやぶ梅に着目し、梅栽培を振興推進する。
やぶ梅を献上することで、年貢を軽減し、
さらに出来の良い梅が江戸で評判となった。

 そして、ようやく梅酒の歴史が始まる。

梅酒の歴史

本朝食鑑 表紙
国立公文書館デジテルアーカイブ

 梅酒の最古の記録は、1697年(元禄10年)に書かれた、
江戸時代の食物百科事典『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』にある。

本朝食鑑 梅酒
国立公文書館デジテルアーカイブ

 本朝食鑑には梅酒(うめさけ)の作り方が書かれている。
レシピは、生梅二升(約3.6㎏)、古酒(日本酒)五升(約9L)、白砂糖七斤(約4.2㎏)とある。
現代の基本レシピは、梅1㎏、ホワイトリカー1.8L、砂糖1㎏なので、
梅の比率を合わせると、梅1㎏、日本酒2.5L、砂糖0.6㎏となる。
お酒が多く、高価だった砂糖は少ないので、すっきりタイプの梅酒だったのだろう。

 15年後の1712年に書かれた図説百科事典『和漢三才図会』では、
焼酎を使った梅酒のレシピが掲載されている。
ただし、単式蒸留焼酎(乙類焼酎、本格焼酎)が使われている。

 江戸時代の後期には、砂糖が一般庶民に普及し始め、自家製梅酒の仕込みが広まる。
しかし、明治32年(1899年)に酒税法により、自家製造が禁止となる。
理由は製造したお酒には税金がかけられるが、
各家庭での製造分まで把握することが困難なため、禁止としたのである。

 現在のメジャー品種である南高梅が発見されたのは、明治35年(1902年)のことである。
当初は主に梅干し用であり、梅酒用ではなかった。

詳しいくはコチラ↓

 日本では1910年(明治43年)にようやく連続式蒸留焼酎(新式焼酎、甲類焼酎)が発売される。
ちなみにスコットランドで連続式蒸留機が発明されたのが1826年。
イーニアス・コフィーが連続式蒸留機を改良して特許を取得したのが1831年。
連続式蒸留機がイギリスから輸入されたのが1895年である。

 1959年(昭和34年)にチョーヤが梅酒の製造販売を開始する。
最初に梅酒の商品販売を始めたのがどのメーカーかは定かではない。

税金
Peggy und Marco Lachmann-AnkeによるPixabayからの画像

 1962年(昭和37年)に酒税法が改正され、自家製造が解禁される。
砂糖もあり、甲類焼酎(ホワイトリカー)もあり、梅もあり、
家庭で合法的に梅酒を作る土台が整ったのである。

 今から半世紀前の1973年に和歌山県みなべ町にうめ課が発足する。
そして何度かのホームリカー(自家製造果実酒)ブームが起こる。

 21世紀に入ると、梅酒に関する制度・制定が進むことになる。

 2004年にチョーヤが6月11日を『梅酒の日』として制定し、
日本記念日協会に認定される。
6月11日は、日本古来の暦『雑節(ざっせつ)』で、「入梅」の日であること、
また、青梅の収穫がピークを迎え、梅酒作りに最適な時期であること、
などの理由から6月11日に制定したという。

 2015年には日本洋酒酒造組合によって、『本格梅酒』が自主基準として定められた。
本格梅酒とは、梅と糖類とお酒のみで作られた梅酒のことである。
自主基準を定めた理由として、添加物不使用であることを消費者へ伝えるためと、
梅の需要を増やすためである。
詳しくはコチラ↓

 そして2020年に地理的表示(GI)の指定を『和歌山梅酒』が受ける。
地理的表示は、その地域の特産品に農林水産省が認定をするものである。
認定を受けると、一定の基準を満たした品質の保証となる。

詳しくはコチラ↓

 梅酒の歴史は日本最古の記録『本朝食鑑』の1697年から約325年になる。
記録がないだけで、実際はもっと前から作られていたのだろう。

あとがき

 歴史をざっくりまとめると、原産地である中国から梅が日本に伝わり、
薬用、観賞用、食用の順に普及が進む。
最初の梅酒は日本酒で漬けられてたもので、砂糖も高級品のため、
貴族の飲み物だったのだろう。
その後、甲類焼酎も販売され、砂糖も一般に普及し、酒税法も改正され、
現代のように家庭で梅酒を作って楽しめるようになった。
梅酒がこれからどのような進化、変化を遂げるのか、梅酒を漬けながらじっくり待つとしよう。



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