ウイスキーの歴史【スコットランド】

HOME

文字数:約1500文字

 ウイスキーに関するスコットランドの歴史を年表にまとめた。

歴史

スコットランドのバグパイプ
Fabien BeckerによるPixabayからの画像

1172年
 イングランド王ヘンリー2世がアイルランドに侵攻。
 「ウスケボー」と呼ばれる酒の存在が知られる。

1494年
 文献に登場するウイスキーについての最古の記述
 スコットランド王室財務省の記録で、
 「修道士ジョン・コーに8ボルの麦芽を与えてアクアヴィテを造らしむ…」とある。
 8ボル=約507キログラム、約180リットルの酒をつくれる量。

1506年
 スコットランド国王ジェームズ4世がエディンバラ理髪・外科医組合に
 ウイスキーの独占製造権を与える。
 当時はウイスキーを薬と考えられていた。

1644年
 スコットランド議会でアクアヴィテ(ウイスキー)に対する課税が初めて行われた。

スコットランド
Frank WinklerによるPixabayからの画像

1689年
 カローデンのダンカン・フォーブスが免税特権をもつフェリントッシュ蒸留所を創立。

1707年
 イングランドによる併合を経て課税はさらに強化され、
 イングランドへの反感と課税を嫌って、この頃から密造を行うものが急増した。
 密造時代は100年近く続くが、大麦麦芽を原料にピートで燻蒸し、
 小さなポットスチルで2回蒸留、木樽で熟成させるという製法は、
 この時代に密造者たちが発達させた技術である。

1781年
 自家製のウイスキー蒸留が禁止に。

1816年
 議会はスモール・スチル法を制定。ウイスキー税を減免した。
 許可証を得た各蒸留所は収税史が駐在する場所を用意しなければならなくなった。

1823年
 酒税法改正によって税率が下げられ、密造時代が終幕。

蒸留器
Thomas WolterによるPixabayからの画像

1824年
 新酒税法のもと、政府公認第一号として、ザ・グレンリベット蒸留所が誕生

1826年
 スコットランド人のロバート・スタインが連続式蒸留機を発明

1831年
 アイルランド人のイーニアス・コフィーが連続式蒸留機を改良し、特許を取得

1853年
 アンドリュー・アッシャーがブレンデッドウイスキー(ヴァッテッド)を発売

1860年
 酒税法改正。異なる蒸留所のウイスキーのブレンドが可能に。
 イギリス政府は蒸留酒が瓶詰にして売ることを認可した。

1877年
 ローランドのグレーンウイスキー業者6社が集まり、
 ディスティラーズ・カンパニー・リミテッド(DCL)を結成
 この頃、フィロキセラ(根や葉にこぶをつくる害虫)でフランスのブドウ全滅。
 ブランデー不足でブレンデッド・スコッチの消費が伸びる。

1905年
 北ロンドンの裁判所がブレンデッドウイスキーをウイスキーとして否定。
 ウイスキーの定義をめぐる論争が拡大。裁判が続行される。

1909年
 グレーンウイスキー(ブレンデッド)もスコッチであることが承認される。

1920年
 アメリカで禁酒法が施行(~1933年)
 第一次大戦と禁酒法の影響で中小の蒸留所が閉鎖に追い込まれる。

1939年
 第二次大戦勃発(~1945年)で蒸留所が相次いで閉鎖し、稼働は45蒸留所のみ。

1943年
 戦時下の禁酒運動により、スコッチウイスキーの製造が完全に止まる。
 蒸留所は軍事産業として、工業用アルコールを製造してしのいだ。

1983年
 収税史の蒸留所立ち会いが終了。

1988年
 スコッチウイスキー法でスコッチを新たに定義

スコットランド
Mariusz MatuszewskiによるPixabayからの画像

1999年
 EU通貨統合。
 スコットランド議会復活。

あとがき

 スコットランドの歴史は、隣国イングランドとの関わりが大きい。
土地や法律、文化が異なるにもかかわらず隣同士というのは、争いが起きても不思議ではない。
島国日本でも海を超えて出兵していたりするのだから。
 歴史を見ると今がとても安定して、さらに高品質のウイスキーが造られている時代なのだと実感できる。