ポートワインの歴史

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文字数:約2700文字

 ポートワインの歴史は、詳しくはわかっていない
これは、現在のような酒精強化されたものと、酒精強化される前のものが区別なく、
ポートワインと呼ばれていたためである。
原産地呼称、名前の由来、年表を見ていこう。

世界初の原産地呼称

 ポートワインは、原産地呼称制度によって保護されている。
原産地呼称は、D.O.(Denominação de origem)と呼ばれ、
ドウロ・ポートワイン協会IVDP(Instituto dos Vinhos do Douro e do Porto)によって厳しく管理されている

原産地呼称
https://www.ivdp.pt/pt

 IVDPは、2012年に誕生した公的機関であり、
1933年設立のポートワイン協会IVP(Instituto do Vinho do Porto)と、
1995年設立のドウロ境界地域専門委員会CIRDD
(Comissão Interprofissional da Região Demarcada do Douro)が統合してできた。

 1756年に世界で初めて原産地呼称制度という考え方を適用したのはポルトガルである

ポートワイン
https://www.ivdp.pt/pt

 17世紀中頃、イギリスとフランスの関係が劇的に悪化したことで、フランス産ワインの代わりとして、スペインやポルトガルのワインが求められるようになる。

 1703年に、イギリスとポルトガルは通商条約(メシュエン条約)を締結する。
イギリスは、繊維製品(毛織物など)をポルトガルに輸出し、
ポルトガルは、とても低い関税でワインを輸出できるようになった。

 イギリスへの輸出が拡大したことで、造れば造るだけ売れるという状態となった。
そうなると、品質の悪いものや、果汁を混ぜたものなどが出回り始め、ポルトガルワインの評判が落ちることになる。

 当時の外務大臣セバスティアン・ホセ・デ・カルヴァーリョ(後のポンバル侯爵)は、評判回復のために、ブドウの栽培地、栽培量、ワインの品質などを厳しく管理する公社を作った。
これが、原産地呼称制度の原形となる。

名前の由来

 ポート(Port)とは『港』の意味である。
ドウロ地域で造られたワインは、港町ポルト(Porto)から海外へ輸出される。
ポルトガル語のポルトも意味は港である。

港町ポルト
amurcaによるPixabayからの画像

 1675年にポルトからオランダ向けに輸出されたドウロのワインが、ポルトと呼ばれるようになる。
イギリスでは英語読みでポートと呼ばれるようになり、ポートワインの名が広まった。

 現在のポートワインような酒精強化がされる前から、ドウロ地域ではワインが造られており、
酒精強化されていないドウロのワインが、ポートと呼ばれてイギリスで飲まれていた。

歴史年表

  • 紀元前1100年頃
     フェニキア人がイベリア半島にブドウ栽培を持ち込み、ワイン造りを始める
  • 711年
     イベリア半島をアラブが支配する。
  • 9世紀頃
     アラブによりイベリア半島に蒸留技術が伝わる
  • 11~12世紀
     ドウロ地域でワインで税を支払っていた記録が見つかる。
  • 1143年
     アルフォンソ・エンリケが独立国家ポルトガルを建国
  • 13世紀
     ドウロ地域のワインがすでにフランスに輸出されていた記録が見つかる。
  • 1337年
     英仏100年戦争(~1457年)により、イギリスがボルドーの領有地を失う。
  • 1416年
     エンリケ航海王子が、アフリカ西海岸探索に取り組み、大航海時代が始まる
  • 1488年
     ポルトガル人航海士バルトロメウ・ディアスが、アフリカ最南端の喜望峰到達
  • 1498年
     ポルトガル人航海士ヴァスコ・ダ・ガマが、インド航路開拓
  • 1549年
     宣教師フランシスコ・ザビエルによる大名への献上品の中に、ポルトガルのワインがあった。
大航海時代
MajarandaによるPixabayからの画像
  • 1660年代
     フランスは、イギリスに輸出するボルドー・ワインに高い税率をかける。
     それに対してイギリスは、フランスワインの輸入を禁止する。
  • 1675年
     オランダ向けのドウロ・ワインが「ポルト」と呼ばれる
  • 17世紀末~18世紀初め
     イギリスへの輸出が増えだした頃に、酒精強化が始まったとされる。
     酒精強化は発酵後に行っていたと考えられる
  • 1703年
     ポルトガルとイギリスの間で、通商条約(メシュエン条約)が締結される。
  • 1756年
     大臣カルヴァーリョ(後のポンバル侯爵)が、公社を作り、ブドウとワインの管理が始まる。
     これが原産地呼称の原形となる。
  • 1820年
     良く熟して、とても糖度の高いブドウが収穫され、
     全ての糖分がアルコールに分解される前に発酵が止まるワインが出来上がる。
     この甘口ワインがイギリスで人気となり、味を再現するために発酵途中で蒸留酒を添加するようになる。
  • 1834年
     政治体制が変わったことで、公社が機能を失う。
  • 1850年代
     ブドウがウドンコ病の蔓延により大打撃を受ける。
  • 1862年
     ドウロで病害虫フィロキセラが確認される。
  • 1907年
     政治体制が変わったことで、ポート産業の保護や統制、
     ドウロ地域のワイン生産地域区分などが法制化される。
  • 1926年
     ポートワイン唯一の貯蔵熟成地として、ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアが認定される
  • 1932年
     サラザールが首相に就き、独裁体制が始まり、半鎖国状態になる(~1968年)。
     輸出規制のため、ワイン用のブドウ栽培の多くが、土着品種で行われるようになる。
  • 1933年
     ポートワイン輸出業者組合(Grémio dos Exportadores do Vinho do Porto)設立。
     ポート産業全体を管理するために公的機関ポートワイン協会IVP設立。
  • 1986年
     ポルトガルがECに加盟したことによって、
     生産地のドウロ地域でも熟成できるようになる。
  • 1995年
     ドウロ境界地域専門委員会CIRDD立。
  • 2000年
     アルト・ドウロ・ワイン生産地域がユネスコの世界遺産に登録される。
  • 2012年
     IVPとCIRDDの統合により、
     ドウロ・ポートワイン協会IVPD設立。
IVPD
https://www.ivdp.pt/pt

関連記事:ワインと害虫フィロキセラ

あとがき

 ポートワインは、イギリスの影響を大きく受けている。
イギリスのワイン消費量は、ポートワインだけでなく、シェリーやフランスのワインにも関係してくる。
自国で優良なブドウ栽培ができなかったために、国外からワイン取り寄せた。
ポートワインはイギリスで甘口が人気になったために、現在の甘口が確立された。
大きな需要に応えたことで、ポートワイン産業が繁栄できたのである。

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