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 ラムの歴史は、大航海時代に覇権を争った国々の影響を大きく受けている。
新大陸発見、サトウキビの入植、三角貿易、語源などを年表にまとめた。
●年表
・サトウキビと砂糖

- 紀元前15000~8000年頃
 現在のニューギニア周辺でサトウキビを栽培したとの伝説がある。
- 紀元前1500~800年頃
 インドのバラモン教の聖典『アタルヴァ・ヴェーダ』に、サトウキビが「イクシュ」と記される。
 これがサトウキビが記された最初の文献とされている。
- 紀元前326年
 古代マケドニアの王アレクサンドロス3世が、
 「インドには蜜蜂の力を借りずに甘い汁をもたらす葦がある」との記述を残す。
- 95年
 紅海の貿易を記した書物に「サッカーと呼ばれる葦(サトウキビのこと)から取る蜂蜜」が載っている。
 これがヨーロッパで砂糖が売買された最古の資料とされている。
- 7~8世紀
 インド発祥の砂糖製造技術が、イスラム教の拡大とともに東地中海にもたらされる。
 さらに十字軍の遠征により、ヨーロッパ全土に砂糖が広がる。
- 756年(天平勝宝8年)
 聖武天皇の遺愛の品を記した『種々薬帳』に「蔗糖二斤十二両三分并埦」の記録がある。
 これが日本で砂糖に関する最古の記録とされている。
- 12世紀
 ヨーロッパの上流階級に砂糖が広まり、紅茶やコーヒーの普及により砂糖の消費が拡大する。
・大航海時代

- 1492年
 コロンブスによる新大陸発見。
 これまでマデイラ島などでサトウキビの栽培が行われてきたが、
 16世紀末には新大陸が価格競争で有利に立つ。
- 1493年
 スペイン出身のローマ教皇アレクサンデル6世がトルデシリャス条約を発令。
 発見された新大陸をスペインとポルトガルで分割統治するとした。
- 1494年
 コロンブスによる2回目の航海でサトウキビがイスパニョーラ島に持ち込まれる。
 ここから、カリブ海諸島でサトウキビ栽培、製糖業が広がる。
- 1520~1530年代
 スペインによってアステカ王国、インカ帝国が征服される。
- 1531年
 ブラジルで製糖所が建設される。
 ここから、ブラジルが砂糖生産大国になる。
- 1550年代初頭
 記録はないが、カリブ海諸島でサトウキビから蒸留酒が造られていたと考えられる。
- 1552年
 ブラジルで初期のカシャッサに関する記述が見つかる。
- 1588年
 スペインの無敵艦隊がアルマダの海戦で、
 イギリスのフランシス・ドレイク率いる私掠船団に敗れる。
・ラムの語源
ラムの語源には諸説ある。
・三角貿易の始まり

 三角貿易とは、ヨーロッパ人がアフリカ西海岸で奴隷を買い、
奴隷をカリブ海諸島に運び、奴隷にサトウキビを栽培させる。
サトウキビから作られた砂糖をヨーロッパで売り、得たお金や物でまた奴隷を買う。
 当初カリブ海諸島の先住民を使ってサトウキビ栽培を行っていたが、
疫病や逃亡、反乱が起こり、ほとんどが絶滅させられた。
 ヨーロッパ人にとってアフリカからの奴隷は都合が良かった。
疫病の免疫があり、土地勘がないので逃亡できず、部族言語が異なるため反乱を計画できない。
100万人以上が奴隷として連行され、強制労働させられたのである。
- 16世紀後半から19世紀
 三角貿易が始まる。
- 1623年
 イギリスがセント・クリストファー島に入植。
- 1625年
 フランスが西インド諸島に属する小アンティル諸島に入植。
- 1627年
 イギリスに続き、フランスもセント・クリストファー島に入植。
- 1635年
 フランスがマルティニーク島とグアドループ島を砂糖植民地とし、
 イスパニョーラ島の西部にプランテーションを設立する。
- 1650年
 フランス人聖職者のジャン・バティスト・デュ・テルトルが、
 蒸留器をマルティニーク島に持ち込み、滞在8年間で様々な実験をしたが、
 ラムの味はイマイチだった。
- 1656年
 イギリスがジャマイカを占領し、イギリス領とする。
- 1693年
 マルティニーク島に渡ったドミニコ会修道士の
 ジャン・バティスト・ラバ(ペール・ラバ)は、
 コニャックの蒸留器やエンジニアを導入し、ラムの品質を向上させた。
- 1703年
 バルバドス島で「マウントゲイ蒸留所」が創設される。
 現在も操業を続ける、最古のラム蒸留所。
- 1747年
 ドイツ(プロイセン)のアンドレアス・マルグラーフが、
 甜菜(ビート)から砂糖ができることを発見。
- 1783年
 アメリカ独立。
- 1786年
 ドイツのフランツ・アシャールが甜菜糖を完成させる。
- 1804年
 世界初の黒人共和国としてハイチがフランスから独立。
- 1805年
 フランスがトラファルガー海戦でイギリスに敗れ、
 翌年(1806年)に大陸封鎖令を発令。
 トラファルガー海戦でイギリス海軍提督ホレーショ・ネルソン死亡。
・ネルソンズ ブラッド(ネルソンの血)の真実

 イギリス海軍提督ホレーショ・ネルソンは、トラファルガーの海戦で亡くなった。
遺体は本国イギリスに持ち帰り、埋葬するためにラムの樽に入れて運ばれた。
多くの兵士が偉大な提督にあやかろうとラムを盗み飲みしたため、
帰国の頃にはほとんど空になっていたという。
このことからイギリスではラムのことを「ネルソンズブラッド(ネルソンの血)」と呼ぶようになった。
 しかし、最新の調査では漬けられたお酒はラムではなく、ブランデーだったとされている。
つまりラムとは関係ないということになるのである。
どこで事実がねじ曲がったのだろうか、、、
- 1807年
 イギリスがアフリカからの奴隷輸入を禁止する。
- 1810~1830年
 旧スペイン領の中南米が奴隷制度を廃止。
- 1811年
 フランスは大陸封鎖令により植民地から砂糖が入らなくなったため、
 甜菜の栽培を国内に発令。
- 1815年
 フランスでナポレオンの失脚により、大陸封鎖令が解除される。
- 1821年
 フランスは本国内の甜菜糖は免税とし、植民地を含むすべての輸入糖に重税を課した。
 これによりフランス植民地で砂糖が大量に余る。
 スペインからグアテマラが独立。
 その後、1847年にグアテマラ共和国に国名を変更。
 スペインから南米のコロンビア、ベネズエラ、パナマなどが
 グラン・コロンビアとして独立。
- 1826年
 スコットランド人のロバート・スタインが連続式蒸留器を発明。
- 1831年
 アイルランド人のイーニアス・コフィーが連続式蒸留機を改良し、特許を取得。
 連続式蒸留機により、効率的にアルコール度数を高められ、量産が容易になった。
- 1833年
 イギリスが奴隷制度を廃止。
- 1848年
 フランスが奴隷制度を廃止。
- 1862年
 ドン・ファクンド・バカルディがキューバのサンティアゴ・デ・クーパの蒸留所を購入。
 「バカルディ蒸溜所」が誕生する。
- 1865年
 スペインからドミニカ共和国が独立。
- 1894年
 フランスが植民地での糖蜜の輸入にも関税をかける。
 この頃からアグリコールラムの生産が始まる。
- 1902年
 スペインからキューバが独立。
- 1903年
 グラン・コロンビアからパナマが分離独立。
- 1941年(昭和16年)
 日本で国産初のラム「南興ラム」が発売される。
- 1946年
 マルティニーク、グアドループ、ギアナ、レ・ユニオンがフランス海外県となる。
- 1952年(昭和27年)
 南興ラムの企業閉鎖後、設備を受け継いだ企業が「ネプチューンラム」を発売。
 このラムは現在でも合同精酒(株)が製菓用洋酒として発売している。
 プエルト・リコがアメリカの自由連合州として内政自治権を獲得。
- 1953年(昭和28年)
 奄美諸島がアメリカから返還される。
 米麹を使う黒糖由来の蒸留酒を黒糖焼酎と定める。
- 1959年
 キューバ革命。
- 1961年(昭和36年)
 日本で初となる国産サトウキビを使った「ヘリオス・ラム」が発売。
- 1962年
 イギリス連邦王国からジャマイカが独立。
- 1966年
 イギリス連邦王国からバルバドスが連邦に属したまま独立。
 イギリス連邦王国からガイアナ共和国が連邦王国の一国として独立。
- 1968年
 イギリス連邦王国からモーリシャスが独立。
- 1979年
 イギリス連邦王国からセントルシアが独立。
- 1981年
 イギリス連邦王国からベリーズが独立。
- 1996年
 フランス海外県マルティニーク島のアグリコールラムがAOC(原産地統制呼称)取得。
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●あとがき
 ラムの歴史は植民地の宗主国や独立の歴史と深く関わっており、複雑である。
他のお酒とは違った生い立ちを持っているところが非常に興味深い。
ラムは自由度の高いお酒であり、世界中で造られている。
このため、新たに歴史に刻まれるような革新的な出来事が起こり得る。
これからも目が離せないお酒である。



